私たちの活動の意味とは。

私たちの活動の意味とは。

 

初めまして!STUDY FOR TWO福岡女子大学支部2年の野島花摘です。

昨年の9月に支援先を訪問するスタディーツアー(以下スタツア)に参加して感じたことを皆さんにお伝えしたいと思います。

 

 

 

スタツアに行こうと思った理由

 

私がスタツアに行こうと思った理由は3つあります。

 

1つ目は、単純に楽しそうだったから。

前回や前々回のスタツアに参加した人の話を聞いたり写真を見せてもらったりするなかで、参加者のメンバー全員がすごく楽しそうで、私も行ってみたい!と思いました。海外ボランティアの選択肢は沢山ありますが、私がSFTのスタツアを選んだ理由は、支援先の子どもたちに会うことで、普段活動しているSFTの活動の成果を見ることができることが魅力的に感じたからです。海外ボランティアというと現地でインフラ整備を行うなどのタイプのものが多いですが、知識も技術も体力もない自分が行ったところでたかが知れてるかなって思いました。しかし、SFTのスタツアは話を聞くことや子どもと遊ぶことがメインなので、余計に足手まといになることもなく、子どもたちに楽しく遊んだ思い出を残してあげられるのではないかと思いました。

また、私は子どもが好きなので、子どもたちと沢山交流できるというのも魅力的に感じました。私は可愛い子どもたちの笑顔に会いたかったのです。

 

 

2つ目は、実際の支援先の様子を見ておきたかったから。

 

STUDY FOR TWO(以下SFT)は子どもたちのために活動していると分かっていながらも、普段の活動は教科書を集めて売ることの繰り返し。SFTは間接的な支援のかたちを取っているので、普段は地道な活動が多くて、なかなか「途上国の子どもたちの支援をしている」という実感が持てません。自分たちが稼いだお金をどんな子どもたちのために使われていて、どのように人生に影響を与えているか、そういうのを知る機会がないため、目的意識を持つことなくなんとなく活動してしまっていました。そこで、実際に現地に赴くことで普段の活動がより有意義に思えるのではないかと思いました。スタツアは通常の観光旅行とは異なり、観光地ではなく農村の学校や子どもの家を訪問します。このことは自分にとって良い経験になるだろうと考えていました。

 

 

いざ!ラオスへ!!

タイから車でラオスへ向かい、地理の授業で出てきたメコン川の上を通れるということで、テンションが上がっていたらいつの間にか国境越えてました。笑

 

そこから車で移動すること数時間…

車の中でメンバーと雑談したり、支援のあり方などSFTについての深い話を沢山できたこともいい思い出だと思っています。

(ちなみに、熱い議論は帰国前夜も長時間にわたり繰り広げられました。笑)

 

 

 

そして2日目は待ちに待った学校訪問。この日はラオヤイ村を訪れました。

スカーフを巻かれ、花束を渡され、すごい歓迎モードで迎えてくれました。

 

 

そして式典が終わると、奨学生の家を訪問し、話を聞きました。

 

 

 

学校に戻り昼食を取ったあとはフリータイム!

子どもが一気に駆け寄ってきて、すぐに打ち解けました。

おんぶしたり、だっこしたり、走り回ったりしているうちに、すぐにヘトヘトになりました。笑

 

(日本から持ってきたシャボン玉は大好評でした!)

 

 

いっぱい遊んで身体は疲れてるのに、やっぱり子どもは本当に可愛くて、可愛くて、癒やしで、マイナスイオンを浴びて、心はどんどん潤されて元気になっていきました。

夜には宴会のようなものが盛大に行われ、バーシーという儀式で私たちが幸せに過ごせるように祝ってもらい、ミサンガのようなものを巻いていただきました。

 

(写真は3日目のバーシーの様子)

 

(2日目の夕食の様子)

 

(カエル食べました。意外と美味しかった。笑)

 

 

 

そして3日目にはボヒンカオ村を訪れましたが、そこでも歓迎してもらい、楽しく過ごしました。

 

同じ儀式が行われ、何回祝福されるんだろうと思いながら言われるがままに参加していました(笑)私たちのために一生懸命に儀式を執り行ってくださって、それだけ私たちを歓迎してくださっていることがすごいな、と思ったと同時に嬉しくなりました。

 

 

最後に中学生の女の子たちが歓迎の踊りを披露してくれました!

 

いよいよお別れの時間。名残惜しそうに見送りしてくれました。沢山の子どもたちにハグしてもらって幸せな気持ちになれたし、何人かの中学生の女の子にほっぺにキスをされてキュンとしました。

 

たった数時間会っただけなのに、私たちのことをここまで暖かく迎え入れてもらえて本当に嬉しかったです。

 

 

 

スタツアを通して感じたこと

 

まだまだ支援を必要としている現状

 私がスタツアに行く前、「ラオスは観光に力を入れるなど、経済発展してきている」「教育に力を入れ始めている」「だからラオスから支援先を他の国にシフトしていっても大丈夫なのではないか」という意見を聞きました。

確かに、2015年のラオスの識字率は84.66%と、10年前のラオス(72.70%)と比べると確実に貧困問題は改善の方向に向かっており、教育の状況も良くなってきています。STUDY FOR TWOはもうすぐ10周年を迎えますが、SFTができた時から今までで世界の状況は変わってきています。

しかし、発展してきているとはいえ、まだまだ必要としている支援があると感じました。

 

 

もちろん、世界中に「勉強したくてもできない子ども」がいる。

ラオスよりももっとひどい状況にいる子どもがいるかもしれない。

他の国の現状を見た訳ではないから、なんともいえない。

それに私が見る限り、明らかに一目で飢えてる!と分かるような見た目の人はいなかった。

 

それでも目の前には支援を必要としている現状がありました。

 

最初に訪れたラオヤイ村の学校では、校舎は老朽化が進んでおり、子どもたちの安全を考えると建て替える必要があると学校職員の方が仰っていました。

 

(教室の様子)

 

また、ラオヤイ村とボヒンカオ村両方の学校で言われましたが、教科書の数が足りず、数人で1冊の教科書を使わなければならないとのことでした。

しかも、同じ教科書を何年も使い回しているため、ボロボロになっていっているものもあります。整備されていないボコボコの道を長い距離歩いて登校している子どもたちも沢山いました。

 

(自宅訪問で実際にこの道を歩きました。)

 

 

奨学生の自宅訪問では「病院が村になくて困っている」「遠いところにしかないからバイクがないと高校に行けない。本当は高校に行きたいけどバイクを買うお金がなくて行けない」「道が悪いからバイクを買うお金があったとしても通うのが難しい」「兄弟は中学に行っていない」などの意見を聞きました。

 

教育支援がまだまだ必要であるのに加えて、道路の整備や病院の建設など、「教育」に直接関係してなくても、教育を受けるために必要な支援があると感じました。

 

このような現状がある限り、支援額を減らすべきではないと思いました。

 

 

見えてきた課題点

 

 ラオスでは小学校が義務教育となり学費が不要となったので、小学生には学用品の支給、中学生には学用品の支給に加えて学費を支払うという方法でSFTは支援しています。しかし、それは学校に入学した後に特に貧しい家庭の子どもが奨学生に選ばれるという仕組みとなっているので、最初から学校に行けない子どもはSFTの支援から漏れてしまうことになります。

 また、SFTの支援対象となっているのは中学生までという点も課題があります。訪問先でのほとんどの子どもが将来の夢を聞かれると「先生になりたい」と答えていました。ラオスで教師になるためには、高校卒業後に専門学校か大学に通う必要があります。しかし、ほとんどの子どもたちが高校に通うことができず、夢を諦めざるを得ない現状にあります。

 

 

教育の重要性

 

 私はスタツアを通して教育の重要性に気付いた出来事を2つ経験しました。

 

 

1つ目は、ラオス語表記の文字が読めず何が書いてあるか分からずに困ったことです。英語名が記されている場合はそれを読めばいいのですが、そうでない場合はガイドさんに聞いたり、理解できないままにしたりしていました。しかし、私にとっては数日間不便なだけであっても、読み書きのできない人たちは一生そのことで苦労するのです。母国語が読めないということは、自分の身の回りにある標識や文字の意味さえ理解できないということです。これは人生においてかなり困難な生活ではないでしょうか。

 

2つ目は、現地の子どもたちと接するときに言葉の壁を感じたことです。言葉が通じなくても、子どもたちとはジェスチャーを使って意思疎通を図り、たくさん遊んで楽しく一緒に過ごすことができました。しかし、伝えたいことが伝えられないことをもどかしく感じる場面も多くありました。中には習いたての英語で頑張って話そうとしてくれる中学生もいて、その子たちとはちょっとだけ意思の疎通がしやすいと感じました。言葉が通じなくても仲良くなれる。でも、言葉が通じないとコミュニケーションに限界がある。そのことに気付いたときに、教育の重要性を感じました。

 

 

「当たり前」のありがたさ

 

私はラオスで、舗装されてないガタガタの道路をバスで移動し、お腹を壊さないか心配しながら慎重に食事をし、衛生的でないトイレで用を足し、ものすごくぬるいお湯しか出ないシャワーで身体を洗い、ホテルの部屋に落ちていたゴ○ブリの死骸に怯え…笑

 

日本との暮らしの違いに衝撃を受けました。

 

安全な水がどこでも手に入ること。

舗装された道路があること。

衛生面を心配することなく食事ができること。

きれいな水洗トイレが使えること。

清潔な部屋で暮らせること。

 

これらが守られているのは決して当たり前なんかじゃなくて、とても有り難いことなのだと感じました。

 

私たちにできることとは。

 

「私たちの活動に意味はあるのだろうか。」

 

スタツア中、そう口にしたメンバーがいました。

 

確かに、私たちが「勉強したいと願うすべての子どもたちが勉強できる世界に」という理念を重ね、労力を割いて活動しても、私たちに世界を大きく変える力はありません。しかし、私たちは決して無力ではないと思うのです。

 

その話をしているとき、昔聞いたある話を思い出したので、紹介したいと思います。

 

海岸を散歩していると、少年がヒトデを海に投げていた。

何をしているのかと尋ねると、

少年は「海に戻してやらないとヒトデが死んでしまう」と答えた。

私はそんなことをしても、海岸中がヒトデだらけなんだから、

すべてのヒトデを助けられないし、意味がないだろうと言うと

少年は少し考え、またヒトデを海に投げた。

そして私にこう言ったのだ。

「でも今投げたヒトデにとっては意味があるでしょ」と。

 

『星を投げる人』(ローレン・アイズリー)

 

支援先が見えてないと、「私たちの活動って本当に役に立っているのかな?」って思うことがあるかもしれません。世界中には勉強したくてもできない子どもが多くいて、そんな子どもたちをすべて支援するのは困難です。私たちが現在支援しているのはラオスとバングラデシュの子どもたちだけだし、その中でもラオスでは1年に20人程度の、バングラデシュでは数百人の一部の奨学生に限られている。世界には勉強したくてもできない子どもたちが6100万人もいるなかで、全体としては少ししか支援できていないと思えるかもしれません。

 

しかし、その支援を受けている子どもたちの人生は大きく変えることができます。

 

 

「もしSFTの支援がなければ学校に行かせてあげられなかった」

 

 

そんな言葉を発したお母さんにとって、SFTの支援は希望の光となっています。

 

 

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

このブログが、皆さんが何か行動を起こすきっかけになれば幸いです。

 

 

最後に、私の好きな言葉を贈ります。

 

 

私たちは微力だけど、無力じゃない。

 

 

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