「自分」に夢中だった私が国際協力を始めた理由

「自分」に夢中だった私が国際協力を始めた理由

 こんにちは。大阪府立大学支部3年生の谷口花です。

 

 府大支部を2年前に5人のメンバーで立ち上げ、2017年5月から約1年間、関西地区代表もやらせていただいていました。

 

 


 今回は、少し恥ずかしいのですが私のSTUDY FOR TWOの活動を始める、国際協力に興味を持ったきっかけとなった出来事について話します。


 もし興味を持っていただけたら、長いですがぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

 



 私が「SFTに入って国際協力をやってみよう」と思ったのは、高校時代にとある国へ行ったことがきっかけでした。

 

 

【とにかく「自分」に夢中だった高校時代】

 

 

 私の高校は入試の点数でクラスが分けられる学校だったのですが、私は一番下のクラスにいました。

 理由はただ、勉強が嫌いでしょうがなかったからです。

 

 

 そんな私でしたが、当時夢中になっていたことがありました。それはバンド活動です。幼馴染の女子4人でガールズバンドを組み、私はそこでドラムをしていました。ライブをすると、毎回チケットはたくさん売れました。

 

      

高校時代のライブの様子1

 

 



 私はステージに上がって演奏をして、みんなからチヤホヤされるその状況に夢中でした。とても楽しかったし、今もドラムは好きです。でも思い返すと自分がそのとき、本当にドラムが叩きたかったのか、ライブがしたかったのかと言われれば素直にそうだとは答えられません。

 

 

 とにかく、他人にどう見られるかということ、他人の目に映る「自分」のことばかり考えていたからです。

 

高校時代のライブの様子2

 

 

 

【私を変えた出会い】

 

 

 そんな私を見かねた母が「自分以外のことにも興味を持ってほしい」と勧めてくれたのがとある団体主催の「フィリピンの台風で被災した小学校の再建プロジェクト」の現地視察への参加でした。

 高校2年生の春休みでした。

 

 

 私はものすごい母のゴリ押しと、海外旅行しばらくしてないし行っとくかというてきとうな気持ちで、参加の申し込みをしました。

 

 

 


 今この記事を読んでいる方は「出た!途上国行って価値観変わったーとかいうやつ」と思われたと思いますがその通りで、私はそのフィリピンでのたったの3日間で全く変えられてしまいました。

 

 

 

 

 この台風の被害は大きく、死者は6,201人、負傷者28,626人、行方不明者1,785人、被災者数1,600万人以上、家屋114万戸余が倒壊などの被害を受け、インフラや農業・漁業などへの被害総額は366億ペソ以上(約854億円)に達するというものでした。

 

台風被害後の現地の様子

 

 

 

 

 私は特に被害が大きかったレイテ島という島に行きました。

 

 

 

 

 そこで、被災しボロボロになった学校でぎゅうぎゅう詰めになって勉強している子たち、その裏で学校に行けずフラフラとゴミを拾っている子たち、色々な子どもたちに出会いました。

 

 

 その子たちと折り紙をしたり、日本の歌を歌ったり、おいかけっこしたりして遊びました。ずっとこの時間が続けばいいのにと思いました。彼らは突然やって来た私に対して「あなたは私の友達」と言い、手を繋いでくれました。
 

 

子どもたちに折り紙を教えている様子

 

 

 

 ふと気づくと私は欠かせなかったお化粧もしないまま、夢中になって子どもたちと走り回っていました。

 

 

 新しい出会い、新しい気づき、なんとかしたいという思い、、、これらのことで頭がいっぱいで、自分がイケているかどうかなんて考えている余裕が無くなっていたのです。

 

現地の子どもたちと

 

 

 

【なんとかしたいという思い、私が取った行動】

 

 


 そんな「なんとかしたい」という気持ちでいっぱいの私だったけれど、フィリピンで仲良くなった「友達」に対して、私は何一つのこともできませんでした。

 

 

 「フィリピンに何しに行くん?」と尋ねてくる学校の友人には「ボランティアしに行く。」と答えていたけれど、私は全く、何もできませんでした。

 

 ただその想像以上に悲惨な状況を見て、子どもと遊んで、ちょっぴり誰でもできるような手伝いをして、勝手に一人で感動していただけ。何がボランティアや。って自分で思ってすごくすごく悔しかったのを覚えています。

 

 

 日本に帰ってきても、私の頭の中はフィリピンで出会った子どもたちのことでいっぱいでした。彼らが何で困っているかを知ったのに、それに対して何もできなかった悔しさがずっと私の頭の中を占領していました。

 

 

 

 田舎の高校生で、来月からは受験生。時間もお金もない私にできることはと考えた結果、私はある行動に出ることにしました。
 

 

 

 当時私はとあるバンドの大ファンで、リリースされたCDは全部買い、ライブに行ってグッズも集めていました。日本に帰ってすぐ、私はその大事に大事にしていたCDやグッズを全部売りました。

 

 そしてそれで手に入れたお金を全て、彼らの学校を再建するプロジェクトに寄付しました。彼らの困っていることに対して自分ができるだけのことをして、喜ばせたい。という想いを「自分の大事なものを売ってお金を寄付する」という行動に実際に移してみると、今まで自分の頭を支配していた悔しさやモヤモヤがほんの少しだけど晴れたように思いました。

 

 

 

 そして何より、とってもとっても嬉しかったのを覚えています。数ヶ月後に新しい学校が完成した時メンバーから送られて来た動画で、新しい小学校で彼らが嬉しそうに私の名前を呼んでくれているのを見たときは、嬉しくて涙が出ました。

 

 

 自己満足、偽善って言われるかもしれません。けれど、困っている「友達」を喜ばせることができたという喜びは何にも代え難いものであるはずです。私は当時の自分のこの喜びを素直に肯定したいと思っています。

 

 

 

【私が今でも大切にしていること】

 

 


 大学生になりました。フィリピンでの経験から「支援」について学びたいと思い、今通っている大学を受験し入学しました。

 

 田舎の高校生から都会の大学生になって(石川県出身の私からしたら大阪は大都会です)、時間も挑戦する機会もたくさん手に入れました。

 

 さあ、この時間や機会を何に使おうかと考えた時、やっぱり誰かを喜ばせるために使いたい、今度こそすぐに行動したい、と思いました。

 

 そして大学内ですぐに始められる活動を探し、1年生の10月にSTUDY FOR TWO府大支部を立てました。(いいこと言ってる風ですが10月までほぼ遊ぶか家で寝ることしかしてませんでした汗)

 

福引きの様子

 

 



 これが私がSTUDY FOR TWOの活動を始めた経緯です。とても長くなってしまって、書き終えてこれをここまで読んでくれてる人いるのかなと不安になってきました、、(笑)

 

 

 SFTの活動を始めてからも、ずっと変わらず私が大切にしているものがあります。それは支援する人を大切に思う、その人を「喜ばせたい」という気持ちです。困っている人を助ける、救う、その人の人生を変える、とかいうとなんか傲慢な感じがしてイヤなんです。

 

 

 活動を頑張って結果を出す、支援先のニーズに合わせた支援をする、っていうことの理由も、「救っている側の責任」より「もっと喜ばせたいから」の方が、お互いハッピーで良いよね!派です。

 

STUDY FOR TWO活動の様子

 

 

 

 

 私はフィリピンでの経験で、人から褒められたり認められたりすることで自分を喜ばせることも嬉しいけど、人を喜ばせることもものすごく嬉しく楽しいことだと知りました。

 

 

 その最高にハッピーな気持ちをずっと忘れないでいたいな、と思っています。

 

 


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

STUDY FOR TWO 大阪府立大学支部

谷口花

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