バングラデシュにいったい何があるというのですか

バングラデシュにいったい何があるというのですか
こんにちは!大阪神戸地区代表と京都大学支部代表をしていました金岡武蔵です。
2017年2月に支援先であるバングラデシュに行かせていただいたのでブログを更新させていただきます。
全員同じだと飽きるので、僕のは毛色を変えて書いてみました。
他の記事と比較しながら、ご家庭にあるチャイでも飲みつつ、最後まで読んでくれるとうれしいです。
 

 
 
とめどなく鳴り響くクラクションとこの国独特の匂いに包まれながら、僕らは舗装されていない道路の上で目的地に向かって進んでいた。
この国を一言で表すのならばそれは「混沌」である。車線を無視すること。明らかに定員オーバーのバスに乗り込むことなど朝飯前である。
自分の存在を示すかのようにクラクションを鳴らし、信号は意味をなさない。挙句の果てにタクシーが道路を逆走しだしたときには度肝を抜かれた。
向かうのは都心部のダッカから車で8時間ほどの女子中学校。僕たちSTUDY FOR TWOの支援を得て、北西部のラジシャヒ州に建設された学校だ。
こんなところに本当に学校があるのだろうか。学校を建てることに本当に意味があったのだろうか。
喧騒の中で、僕のそんな不安をよそに僕らを乗せた車は次々と車を抜かして目的地に近づいていった。
 

 
もともと僕は、考えすぎる節がある。
国際協力に付いてもその節があった。
学生が行う国際協力に非難は付き物である。
なぜ日本でも困っている場所があるのに日本で手を差し伸べないのか。
なぜ自分たちに余裕がない学生がやっているのか。
ただの自己満足じゃないのか。
といった様々な批判をうける。
その中で、「悪いことをしてるわけではないのだから良いではないか。」という反論や、「果たしてそれが本当に途上国の人たちに対する善意の押し付けではないのだろうか。」という自身に対する疑問が出ては、頭の中の論争は答えが出ぬまま幕を閉じることが常であった。
そもそも自分自身が納得していれば、他者は関係なく心から活動をできるのだが、人を気にしすぎる性分故に答えの見えない問いに対して一抹の不安を抱きながら、日本で活動を行なっていた。
めて支援国を訪れる前にそのような疑問に答えを出してから訪れたかったが、結局答えは出ぬまま、訪問の時を迎えていた。
 
 
 
中学校までの長い道のりは無限に続くように思われた。
早く目的地について僕らが建てた学校を見たいという高揚感、考えがまとまっていない焦燥感に押しつぶされそうになりながらも、その瞬間は無情にも唐突に訪れた。
畑が広がる村の中にカラフルな建物が現れたのである。
入り口には多くの学生がおり、車は右折しその建物の敷地へと入っていった。
車から降りるように言われはじめてこの建物が来る前に見たカラフルな学校の写真と一致することを認識できた。
僕は不安で泣きそうになりながら、人ごみに押し出されるように敷地へと入っていった。
 
 
そこには一つの答えがあった。 僕が悩んできたことに対する答えだ。
 
 
学校にはたくさんの笑顔に溢れた学生の姿があった。
不器用に笑う僕に彼女たちは花びらを投げてかけてくれた。
文化は違えど歓迎の意味があることは明らかであり、誘導されるように僕らが建てたカラフルな建物へと歩んでいった。
彼女たちは純粋に学校が新しくなったことを喜んでいたし、その学校を建てた僕らに興味を示しながら迎え入れてくれた。
彼女たちはどうやら歌うのが好きなようで日本の歌を歌うように2回ほど頼まれた。
また、自撮りが好きで何度も自撮りに映るようにいわれた。笑い返せば笑い返してくれ、カメラを向ければ嫌がらずに映ってくれた。
少なからず、歓迎するようには言われていたのかもしれない。
しかし、僕の目には明らかに彼女たちは喜んでいるように見えたし、僕自身を、そして僕たちの行ってきたことを彼女たちが認めてくれたような感じた。
 
 
 
僕たちが行ってきた活動は、常に応援してくれる人たちばかりだったわけではない。
馬鹿にされることもあったし、離れて行く人もいた。
しかし、勉強したいと願う彼女たちが笑顔で学校に通っているということだけで僕たちが行ってきた活動には意味があったと思える。
それだけで十分な理由になるのである。自己満足でかまわない。
困っている人がいるから僕たちは自分のできる範囲で困っている人たちを助けるのだ。その場所がたまたま途上国であっただけだ。
 
 
初めて支援国を訪れたその瞬間は、僕が行ってきた活動の責任を果たせたと感じた瞬間であった。  
僕の中で、国際協力は「相手が望むことを、自分が責任を持って、自分にとってストレスにならない範囲で行う自己満足」だという結論に至った。
国際協力は一人で行うことではない。
相手がいて初めて成り立つものである。その中で相手が本当に何を望んでいるかを見極めなければならない。
善意の押しつけにしてはならない。
そして、自分自身が行ったことが相手に届いたのか、悪いようになっていないのか関わり始めた相手に責任を持たなくてはならない。
そのなかで、支援を続けていくために自分自身が関係を断ってしまわないようにストレスを感じない範囲で行い続けなければならない。
もちろん答えは一つではないしこれが今後変化する可能性もあるが、今回バングラデシュを訪れたことで自分の支援の先が見えたこと、一つの結論を導き出せたことは感慨深い。
 
 
STUDY FOR TWOのまわりにはたくさんの批判が溢れているし、理解してくれない人もたくさんいる。
意識高い系だとかしょうもない自己満足だとかいうしょうもない批判に溢れている。
それでも、僕たちは勉強したいという望みを中古の教科書を半額で再販売するという形で実現しているのである。
現地の様子を見てきた僕だからこそ言えることがある。僕たちSTUDY FOR TWOの活動には意味があると。

 

STUDY FOR TWO 京都大学支部 金岡武蔵

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