バングラデシュの現代美術 ~日本との接点~

バングラデシュの現代美術 ~日本との接点~

 

 皆さん!突然ですが、芸術の秋ですね!(笑) ということで今回は、支援先の一つであるバングラデシュの美術作品を紹介してみようと思います。STUDY  FOR  TWOが支援している子どもたちの中には、将来画家になりたいという夢を持つ子もいます。このブログを読んで、多様なバングラデシュ文化の1つを知ってもらえればと思います!  

 

 

 

現代美術の始まりと今

 イギリスの植民地からインドとパキスタンが分離独立した1947年以降、若手の芸術家たちがダッカに移り住んだことが現代美術の始まりです。彼らは民俗芸術をもとに、自然と人間の調和を大胆な筆遣いと明るい色で表現しました。 この中心人物の1人がジャイヌル・アベディン(1918‐1976)です。   

写真引用:wikipedia(1955年頃)

 

彼はバングラデシュ初の芸術学校(現在のダッカ大学芸術学部)を創るなど、現代美術の興隆に重要な役目を果たしました。   

写真引用:wikipedia

 

他にカムルル・ハッサン(1921‐1988)、S・M・スルタン(1923‐1993)などが現代美術の先駆者といえます。

 

  1971年、東パキスタンが「バングラデシュ」として独立を果たすと、その達成による希望にあふれた雰囲気はバングラデシュ美術に新たな流れを生みました。画学生時代、独立戦争に参加したシャハブッディン・アーメド(1950‐)は、生死をさまよう肉体の動きに衝撃を受け、その衝撃を荒々しいタッチで見事に表現しました。 

題名『無題』
写真引用:https://ameblo.jp/rafgeymirid/entry-10672615225.html

題名『叫び』
写真引用:https://ameblo.jp/rafgeymirid/entry-10672615225.html

 

 対照的に、ムニエル・イスラーム(1943‐)は静かな水彩画を得意とするなど、バングラデシュ画家の個性豊かな作風が更に開花した時期といえます。又、スぺイン留学によって独特の画風を手にした静物画のショヒード・コビール(1949‐)など、外国作品の影響を受けた画家も多く登場しました。モハメド・イクバル(1967‐)は子どもや女性をモチーフにし、複雑な社会状況を絵で表現しています。  

モハメド・イクバル氏
写真引用:http://www.47news.jp/photo/1219552.php  

 

 今日のバングラデシュ美術は、ダッカ大学を中心に多様なジャンルから成立しています。画家たちは自国の自然や歴史への思いを作品に込め、アイデンティティを表現すると共に、見るものにその思いを訴えかけているのです。

 

 

 

 

 

現代美術と日本の接点  

 バングラデシュ美術に日本との接点がある事を知っていますか?ここでは3つの例を紹介したいと思います。

 

 

1)国旗

 バングラデシュ国旗の原型をデザインしたのは、上述した現代美術の先駆者の1人、カムルル・ハッサンです。1971年の独立戦争時に、バングラデシュは西パキスタンと対立していました。西パキスタンのイスラム主義の象徴である「三日月と星」に対抗して、ハッサンは「太陽」をモチーフにしたのです。又、イスラムの教えを示す緑と区別するために、地の色は濃い緑としました。当時の旗にはバングラデシュの地図も描かれていましたが、旗がはためいた際に正確な地図を維持できないといった点から削除されました。現在の国旗で太陽がやや左よりなのも、旗がはためいた際に中心にくるようにという配慮です。

バングラデシュ独立戦争期 (1971年)の旗
写真引用:wikipedia

 

 日本の国旗とバングラデシュの国旗が類似していると感じる人は多いのではないでしょうか?実は、初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマン(1920‐1975)は日本の美しさに魅せられ、国旗を制定する際に吹浦忠正(1941-、初代バングラデシュ日本人会会長)の意見を参考にしました。つまり、バングラデシュの国旗は日本の国旗に似せて作られたのです。似ていて当然ですね(笑)

 

 

2)日本人画家のコルカタ訪問  

 日本美術はバングラデシュ美術に影響を与えています。その源流は、1901年暮れから約11ヶ月間に及ぶ 岡倉天心のコルカタ(インド西ベンガル州の州都)訪問、そして岡倉に勧められた横山大観菱田春草による1903年のコルカタ滞在にあります。この時ベンガル地方に紹介された日本美術に魅せられた1人がモハンマド・キブリア(1929‐)です。彼は1959年から約3年半の間 東京藝術大学で美術を学び、バングラデシュ人の心性を日本的な淡い色彩で表現するという独特な画風を生み出しました。

 更に彼の後輩にあたるカジ・ギャスティン(1951-)、ジャマル・アーメド(1955-)ら多くの画家が日本に留学し、日本美を含んだ素晴らしい作品を発表し続けています。

 ここでギャスティン氏の作品を紹介します。彼は30年以上日本に滞在し、自然などをモチーフにした絵を多く描いています。一貫して抽象的な作品を発表されていますが、色彩表現の柔らかさはどこか日本の淡い雰囲気を感じました。

カジ・ギャスティン氏
写真引用:http://www.moliere.co.jp/atelier/class/kazi.html

写真引用:http://monyaart.jugem.jp/?eid=435

写真引用:http://monyaart.jugem.jp/?eid=435

 

 

3)リキシャ  

 バングラデシュで最も一般的な移動手段が、「リキシャ」と呼ばれる三輪自転車です。リキシャと聞いてピンとくるように、その語源は日本の「人力車」にあります。手の込んだビニール製の天蓋と、座席後部のブリキのプレートの大半には装飾が施されています(=リキシャ・ペインティング)。基本的にリキシャは動いているため、瞬間的に印象付けられるよう、派手な色や大胆な線、分かりやすい構図が用いられます。民俗慣習や宗教的神話、風景描写などを描くだけではなく、同時代の社会的・政治的テーマがモチーフになることもあります。今日までリキシャは単なる移動手段としてだけでなく、1つの芸術作品としてバングラデシュ文化の一部となっています。  

写真引用:http://sekaishinbun.net/2014/08/24/bangladesh-rickshaw/

 

 

 

おわりに  

 バングラデシュの現代美術について少しは興味を持っていただけましたか?繰り返しになりますが、STUDY  FOR  TWOが支援している子どもたちの中に、画家になりたいという夢を持つ子がいます。メンバーが支援先の現状や文化を知り、且つ支援先の子どもたちが勉強して夢を叶えられる状況を維持する ― そんな繋がりのサイクルがこれからも続いていくことを願っています。

 

 

 

参考文献: 川上貴之「自然から生まれた文化大国」『バングラデシュを知るための60章【第2版】』
福岡市美術館『リキシャ・ペインティング――バングラデシュのトラフィック・アート』
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