なんとなくスタツア行ってみた

なんとなくスタツア行ってみた

 

初めまして、STUDY FOR TWO 九州大学支部3年の花本寛気です。

 

 

 

 

僕がスタツアに参加した理由は「なんとなく」でした

 

もとはといえばSTUDY FOR TWO(以下、SFT)に入ったのだって、「入っていたサークルをやめて暇だったから。ボランティアサークルってなんだか就職に有利そう。」言ってしまえば不純な動機でした。

 

元々僕はボランティア精神のかけらもない人間で、自己中心的です。支部長と知り合いだったことから2年生の始めにSFTに入り、支部長に言われるがまま「なんとなく」教科書の回収、販売をしていました。

 

売上金を支援金に充てていることは「なんとなく」知っていましたが、誰が、どんな経路で、どこに、何を、どのくらい支援しているのか全く知りませんでした。

 

信じられないことにスタツア前の僕はそんな状態で教科書を回収したり販売したりしていました。その活動にさえ積極的に参加しておらず、基本的にバイト優先、遊び優先、余った時間にサークル活動、そんな感じでした。ましてや大事な長期休暇が4日も潰れてしまう合宿やスタツアなんて、頭の片隅にもなかったです。

 

それが今年の夏、偶然にもスタツアの期間だけきれいに予定が空いていて、春のスタツアに参加した支部のメンバーに「一世一代のチャンスですよ!」と言われ、他人に流されやすい僕はなんとSFTの真髄ともいえるスタディーツアーに参加することになってしまったのです。この時の僕は、このスタツアが自分のSFT人生を変える転機となることをまだ知る由もありませんでした。

さて、ここからが悪夢の始まりです。

 

 

 

 

 

 

 

最悪のスタート

 

スタツアに参加するにあたって、オンラインミーティングを行い、顔合わせ、検証したい問いを話し合ったりするのですが、なんとなくスタツアに参加した僕は二度あったミーティングのどちらにも参加していません

 

さらに航空券は自分で手配するのですが、中々手配をしない僕は何度もスタツア係にせかされてやっと手配したのが出発の5日前。しまいにはその手配した飛行機に乗り遅れ、新しく取り直して何とかみんなと合流し、そんな状態で僕のスタツアはスタートしました。

 

 

 

 

 

 

 

スタツアで感じたこと

 

このスタツアの中で僕は、幸せの定義と、教科書の回収と販売の意義の2つのことについて考えさせられました。

 

 

1つ目は「幸せの定義」です。

 

支援物を届けている子どもたちの家庭訪問をさせていただいたのですが、そこで僕はこのスタツア一番の衝撃ともいえるものを目にします。それは、ラオスの子供たちと僕たちとの生活レベルの差です。

 

正直僕の考えが甘かったのかもしれません。訪問したラオニャイ村は途上国であるラオスの中でも貧しい所、対して僕らは言ってしまえば先進国の中でも裕福な家庭。生活レベルに差があるのは当たり前です。しかし僕の勝手な想像では、インターホンを押してドアが開いて中に通してもらって一つの机を囲んで子どもに質問をするはずでした。しかし実際の訪問は、インターホンどころかドアも無く、当然エアコンや扇風機は無いので汗だくになりながら質問するというものでした。

 

 

 

ここの子どもたち、いやこれは大人たちも含めてですが、この村の人たちの生活スタイルを想像して、言い方は悪いかもしれませんが可哀想になりました。この子たちはこの村に生まれてしまったばかりにこんな貧しい生活を強いられていて、僕らは日本に生まれたおかげで裕福な生活ができている。運命は残酷だ。日本が、僕らがいかに恵まれているのかを改めて痛感したのでした。

 

 

 

 

しかしよくよく考えてみると、これはあくまでも僕ら視点の考えです。

 

日本の生活とラオスの生活をどちらも知った僕らが勝手に、生活レベルが低い、可哀想だと思っただけの話なのです。それではラオスの子どもたちの視点ではどうでしょうか。

 

彼らはおそらく僕らがどんな生活をしているかなんて知りません。そりゃもちろん支援を受けているわけですから、自分たちより裕福だとは思っているでしょう。しかし彼らには情報がありません。ですからエアコンすらない生活の彼らには僕らの裕福な生活は想像できないでしょう。

 

つまり彼らは自分たちがどれだけ可哀想なのかを知らないのです。いや、彼らはもはや可哀想ではないのかもしれません。午後学校で一緒に遊んだ時に僕らに見せてくれた彼らの笑顔は幸せそのもので、自分たちのことを可哀想だなんて1ミリも思ってないように見えました。

 

むしろ可哀想なのは、裕福なのが幸せで貧乏なのは不幸だ、そんな考え方しかできない僕らの方なのかもしれません。「幸せの定義」って何だろう。そんな風に考えさせられました。

 

 

 

2つ目は、教科書の回収、販売は、本当にラオスの子どもたちのためになっているということです。

 

冒頭にも書いた通り、僕はSFTについて何も知らず、ただ支部長に言われるがまま教科書の回収、販売をしていました。その先は、「途上国の支援に使われている。」その字面しか知りませんでした。しかしこうして実際に支援先を訪問して支援物を自分自身の手で渡すことで、教科書の回収、販売の先を字面でなく生で知ることができたのです。

 

家庭訪問で支援している子どものお父さんの言葉で印象的だったものがあります。

 

「この子が使っているノートや鉛筆、今着ている制服も、すべてSFTから支援してもらったものです。SFTが無ければこの子は学校に行けてないです。SFTには本当に感謝しています。ありがとうございます。」

 

僕らのしていることはそんなに大きいことだったのかと驚きました。大げさに言えば一人の子どもの人生を変えているのです。今までなんとなくやっていた教科書の回収、販売に初めて具体的な意義を見出せた瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

 

僕はスタツアに行って本当によかったと思っています。確かにお金はかかります。しかし大人になったらもう絶対にできないような体験をさせてもらうことができました。ここに書いたこと以外にもたくさんのことをスタツアで得ることができました。でもそれは実際に行った人にしか得られないものだと思います。

 

もしあなたがスタツアに参加するかどうかを迷ってこのブログを読みに来てくれたのならば、絶対に参加するべきです。スタツアはあなたの中の何かを必ず変えてくれるはずです。

 

こんな稚拙な文章を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

九大支部3年 花本寛気

 

 

 

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