日本人は意外と知らない?ラオスの実情を歴史からさかのぼって考えてみた。

日本人は意外と知らない?ラオスの実情を歴史からさかのぼって考えてみた。

こんにちは、PRの柳田です。

今日は私たちSTUDY FOR TWOの支援先であるラオスについてご紹介いたします。

 

さて、まず始めにみなさんは「ラオス」と聞いてどのようないイメージを思い浮かべますか??

 

恐らく様々なイメージがあるでしょうが、具体的にイメージできる人は少ないと思います。 ですが、大学生のうちに海外旅行で、東南アジアを訪れる学生は多いのではないでしょうか。 今回は、ラオスのことを知ることで、これからラオスを訪れる人も、訪れない人も(笑) 新たな知識を持ってラオスのことを見つめてくれるよう、ラオスついてお伝えいたします。

 

「ラオスってこんな国」

 

 

 

 

赤は戦いの血(!!)、青はメコン川、白は平和と仏、丸は月を意味する)

正式名称 :ラオス人民民主共和国

首都   :ヴィエンチャン

人口   :約651万人(2012年,ラオス統計局)

面積   :約24万平方km

通貨   :キープ(78.6456キープ=1円)

主な宗教 :上座部仏教

平均寿命 :67歳(2010年,ユネスコ) 成人識字率:73% (2010年,ユニセフ)

*東南アジアの国々の中では唯一海に面していないのが特徴。 成人の識字率の低さは驚きですね、、 では詳しい歴史に移っていきますよ!

 

「大国に翻弄され続けたラオスの歴史」

外国について学ぶ際に最も重要なことは歴史を知ること

歴史を知ることで、実際に訪れた際に新しい発見が得られたり、現地の人との触れ合いにも深みが増します。

では、歴史の紹介に移ります。

ラオスは、長い歴史の中で幾度となく大国の間で翻弄され続けてきました。

 

タイ・カンボジアの支配下からフランスの支配下に。

1353年、ランサン王国が初めての統一国家となり、この王国は1710年までおよそ350年間も続きました。 350年に渡って繁栄した王国ですが、内部分裂により3つの王国に分裂します。 しかし、分裂直後、当時東南アジアで強大な勢力を誇っていたタイやカンボジアの支配下におかれる事になりました。 その後19世紀になり、フランスが東南アジアに植民地を求めて進出した際にタイの支配下にあったラオスの3王国は、隣国に対抗し独立するためにフランスと手を結びました。

 

その結果起こったのが仏泰戦争(フランス=シャム戦争)です。

この戦争の結果フランスはタイに勝利し、ラオスは晴れて独立を勝ち取るはずでしたが、 今度はフランスの支配下におかれてしまう事になり、フランス領インドシナ連邦の一部になってしまいます。

 

 

大国に翻弄され、壊滅的な状態に。

その後時代は流れ、第二次世界大戦が勃発しました。 その当時、日本軍がフランス軍に勝利して東南アジアに進駐していました。 当時のラオス政府は日本軍と手を結び、1945年4月8日に独立を宣言することになります。 ところが日本の敗戦後、フランス領インドシナ連邦復活を狙うフランスにより、 ラオスとフランスの間で第一次インドシナ戦争が勃発。 結果的にフランス連合内の一独立国として表面上の独立を勝ち取りますが、外交権・軍事権などはフランスに握られたままでした。 その後1953年にフランスとの条約により正式に独立を獲得し、晴れて独立国となるはずでしたが、 独立後の政治的主導権を巡って国内で20にも及ぶ内戦が勃発します。 この内戦で、 当時隣国のベトナムで行われていたベトナム戦争に巻き込まれ、アメリカ軍による爆撃などを受けてしまい国内は壊滅的な状況になります。 1974年、長い戦争を経た末に内部分裂をしていた各勢力が合意して連合政府を樹立、 その後ベトナム戦争終結を受けて王政の終了を宣言、現在のラオス人民民主共和国が誕生することになります。 このようにラオスは、タイ・フランス・アメリカなど各時代の大国に常に翻弄される歴史を背負って来たのです。

 

「ラオスはなぜ貧しいのか。」

上記で説明したように、ラオスは長い戦争の果てに誕生した国で、 特にベトナム戦争の傷跡は深く、現在も国内の各地域で地雷や不発弾による悲惨な事故が発生しています。 更に農村ではインフラを中心に荒廃がすすんでいる現状です。 また、ラオスは多数の民族で構成されている多民族国家。 民族の数は40~70とされており政府でも把握できないと言われています。

 

そして民族ごとに独自に言語を持っているため、お互いのコミュニケーションを取ることが難しい上に、 公用語のラオス語で行われている学校の授業を、少数民族は理解する事ができないのです。

 

このことが低い教育水準・識字率につながっています。 しかし、ラオス政府は国民全体を「ラオス民族」と見なしており、 多民族国家ということを否定しているため少数民族に対する配慮等がほぼ無いのも問題点のひとつです。

(写真撮影:テイスト・オブ・ラオス) (民際センター提供)

 

「だからこそ教育支援を。」

戦争の名残、そして教育問題によりラオスでは義務教育を終えることができる子どもはとてもわずか。 これは戦争による貧困のために、

 

・教育を受けさせず農業に従事させる家庭が多い

 

・授業料を払うことができず、勉強をしたくても受けることができない

 

そんな子どもたちが多いからです。 そのため、私たちSTUDY FOR TWOは単なる物の支援で終わるのではなく、 持続的なラオスの発展に寄与できるよう「勉強したいと願うすべての子どもたちが勉強できる世界に」という目標を掲げ、 ラオスの子どもたちが勉強をするための奨学金を集め、寄付するという教育支援の活動をしています。

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